私自身、野球を小学生の時から習いだして、今年で30年ぐらい野球に携わっていますが、その中でこれは本当に必要か?と思う事があります。
「少年野球・学童野球=お茶当番」や「野球部=坊主」や「甲子園でも一塁へのヘッドスライディング」がその代表格ですね。
どれも、野球いえば思い浮かぶことがあると思います。それぞれ解説していきたいと思います。
①坊主
何故、「野球部=坊主」というイメージなのか?そもそも坊主にする必要があるのか?
私も小・中・高とずっと野球をしていましたが、坊主でした。その時は、全く気になりませんでした。
しかし、自分の子供が出来て子供が野球をやりだすと、子供の口から「坊主は嫌や」と言われました。
自分的には、やはり野球部=坊主だったので、なんで?となりました。
が、よくよく考えると確かに、何故、坊主にする必要があるのか、考えた事も無かったです。
子供に言われてから、考えると坊主にする意味は確かに無いですね。
昔から坊主だっただけで、それに意味は無いと思いました。
高校野球連盟も頭髪に関するルールは一切ありません。坊主じゃないとダメと言っている訳でもないのに、何故、坊主を強制するチームが多いのか。
色々な諸説があって、明確な答えは無いです。
一番、考えられるのは、第1回の全国高等学校選手権大会が1915年に開催された時、戦時中だった為に、坊主頭が当たり前でした。
毎年、終戦まで開催されていたので、野球=坊主が印象的となって今も根強く残っていると感じます。
後は、甲子園に出場する様な、強豪高校が坊主を辞めない事も要因の一つだと思います。
私の住んでいる所の近辺の高校も少し前までは、坊主頭が多かったですが、徐々に自由になってきていると感じます。
その理由は、やはり最近の子供は坊主を嫌がるからです。
坊主だからという理由で、その高校野球を選ばない、坊主だから野球をやらない。
そもそも、昨今の少子化によって野球自体をやっている子供も減ってきている中で、坊主という理由で避けられるのは厳しいですよね。
なので、私の子供も野球をやっていますが、長男(高校)も次男(中学)も坊主ではありません。
坊主にしたからって野球が上手くなる訳でもないですし、勝てる訳でもないです。
髪型で判断するのは時代遅れで、考え方が古いと個人的には思います。
②お茶当番
これも、悪しき習慣の一つだと思います。
「学童野球・少年野球=お茶当番」も根強く残っていますね。
過去の投稿を参照して下さいね。
これは、子供の問題というよりも親の問題になりますね。
お茶当番が無ければ、野球をやらしている家庭も多いと思います。
実際、中学になってから部活で野球をする子供がいます。
お茶当番はいりません。そう強く思います。
③選手・監督のユニフォーム・スパイクの統一
最近、やっと選手・監督のユニフォームやスパイクの統一が無くなりました。
学童野球時代、監督・コーチをしていた時に、わざわざスパイクに履き替えて試合に参加していました。
ベンチにいるだけなのに、スパイクに履き替える必要があるのかと、ずっと思っていました。
やっと最近、監督・コーチについてはスパイクの規制は無くなりました。
子供に関しても、全員が統一のユニフォーム・スパイクにしないとダメでした。
しかし、子供の減少に伴い合同チーム等も増えた事によって、昔ほど厳しくは無くなりました。
ユニフォームは合同チームじゃ無ければ、統一しないとダメですが、スパイクは自由になりました。
それに伴って、高校野球がやっと「白色のスパイク」を公式戦での使用を認めた事によって、自由になりました。
④一塁へのヘッドスライディング
今、まさに甲子園が開幕して、テレビで野球を観る機会が増えたと思います。
高校野球の最後のバッターが内野ゴロを打った際に、一塁へヘッドスライディングをしているのをよく見ますね。
しかし、絶対に一塁へ駆け抜けた方が早いです。
にも関わらず、最後のバッターのヘッドスライディングは後を絶ちませんね。
それが美学かのように、ほとんどのチームの最後のバッターが一塁へのヘッドスライディングを行います。
それを見て、小学生も一塁へヘッドスライディングをしたりします。
本当に辞めて欲しいです。
ヘッドスライディングは怪我のリスクが非常に高いからです。それに、駆け抜けた方が早いです。
陸上の100m走でゴールへヘッドスライディングをしている選手を見た事ありますか?ありませんよね。何故なら、駆け抜けた方が早いからです。
私は、子供達に絶対にヘッドスライディングはしないで、と教えています。
高校野球でも辞めて欲しいと心から思います。
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